2005年01月23日


平時子が常盤が敵将である清盛の情けを受けることを批判するシーンがある。

武家の女なら…という下りがあるが、
常盤は宮中の雑仕女(まぁ今でいうOL)なわけであって、武家として育ったわけではない。
平時子のほうも、同じ平家でも清盛の系統の滝口の武士の平家(高見王‐高望王系)とは違い、むしろ公家的な性格の強い平氏(高棟王系)の生まれである。
「武家の女ならば」をいう筋ではない。


そもそも、当時の人に自刃するという概念は薄い。
服毒自殺や入水自殺はあったが、自刃の記録は非常に少ない。
ましてや女性が自刃をするというのは非常に珍しく、敵のもとに再嫁するのは当たり前。当時は女性も財産を持ち相続権を持っていたので、敵将に嫁ぐのは所領、財産も含めの再嫁である。

子供も元服前なら殺さず猶子(相続権を持たない養子。家族同然に育ち元服後家臣になる場合が多い)として育てられることが普通だった。

一族根絶やしの合戦は源平合戦からで、自刃が増えるのもそのあたり、平治合戦ではまだ過渡期だったのではないかと思う。


大河ドラマでの清盛のやり方はそういう意味で当たり前の行動なのである。

ただ、清盛が出世する前は、平時子の家系が清盛の家系より身分が上で大分出世に至るまでの後ろ盾だった関係上、時子の機嫌をうかがって常盤を藤原氏に再々嫁させ、遺児等を寺に入れたのだろう。

皮肉にも、その再々嫁先の藤原氏、陸奥守藤原基成(藤原秀衡の正室の父)の親戚である。奥州に義経が身を寄せたのは、鞍馬山で僧侶にもならず稚児を続け浮いた存在になり、また源氏の残党が集まり平家に目を付けられ処刑されることを恐れた、母常盤の最後の愛情で、藤原基成に夫を通じて取り成した結果だったのかもしれない。


武士というと、自刃、切腹というイメージがついて回るが、それは新しい時代、戦国末期の全国統一されたあたりからであり、その前は、武士は生き抜くためには何でもすることが多かったりする。

女性もしぶとく生き残って、遺児を育て上げ血筋の再興に再嫁先を利用する強かさを持っていた。


女性の血筋を調べると、なんでこの人とこの人が手を組むか、なんでこの兄弟が仲が悪いかが簡単に見えてくることがままある。



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