2008年07月08日

平泉「落選」 「浄土」結局理解得られず
平泉、世界遺産「落選」 岩手知事「3年後を目指す」
平泉、世界遺産「落選」…日本の候補地では初
>推薦書を補足する文書を新たに提出し、
>〈1〉平泉の浄土思想には、現代に通じる「平和希求」「万物共生」「自然との融合」の精神がある
>〈2〉敵味方や善悪を超え、絶対平和を希求する姿勢はユネスコ憲章の精神にも通じる
>−−などと訴えていた。

観光とか、公園整備の補助金とか、自分のところの歴史もよく知らないで、自治体はそういう欲目が前面に出過ぎていると思う。
誰がきいても、浄土思想や絶対平和は苦し紛れのとってつけのように聞こえる。
推進派は本当に平泉の歴史を理解していまい。
何故「景観」を入れたがるのか。景観保全の予算や工事が見込めるからだ。

普遍的価値とは。
普通に満遍なく誰にでもある価値。つまり誰でもそれが価値あるものと認識できるもの。
無理やりプレゼンでこじつけて教示して初めて理解できるような付加価値をつけるものではない。

世界が共通の価値をもつもの。
それは大航海時代の原動力ではないだろうか?
マルコポーロの黄金の国ジパング伝説が無ければ、コロンブスにアメリカ大陸が発見されずもっと後世になっただろう。

何故黄金伝説が生まれたか?
日本の辺境で金色堂を建てたぐらいでは伝わらない。
その隣にある経堂に宋版一切経が納本された。一切経は当時の大百科辞典的存在。その購入のために大量の金を宋に持ち込んだ。これが無ければ金色堂の存在は大陸に伝わらないと思う。
一切経を写本した紺紙金字一切経は国宝となり高野山や京都の寺に所蔵されている。
同様に政治介入されないよう京都にも大量の貢金、貢馬をした。
それが平安後期の貴族文化を支えた。

さらに、日本特有の武士文化。
日本刀や大鎧が大成したのは奥州の戦乱のころ。軍記物に源氏伝来の八領の鎧も登場するし、舞草刀も登場する。
奥州産の馬は武士の憧れの的で、高値で取引されていた。
主従の絆など武士道に通じる考え方も奥羽の戦乱で作り出されたものが多い。
武士の最高位、征夷大将軍というのも、もともとこの地の蝦夷を制圧するための位。
奥州を征伐するため、現職鎮守府将軍(=藤原秀衡)に対抗するためには、古い最高位を持ちだすしかなかった。
それが、鎌倉、室町、江戸幕府の武士の最高位として継承されている。
都市を作るために大量に動かされた資金物資が日本の政権に影響を及ぼしている。

後の日本を統べる武士の欲望が集中し戦乱の火種が絶えなかった平泉に、武力ではなく仏法と財力で平和を維持した地方都市がある。
極東の小さな地方都市でありながら、貴族→武士の時代の変わり目の最後の砦となり、世界に黄金都市伝説を撒き後世の欧州人の野望を突き動かした。
それらの建造物が沢山あったけど、それもまた戦乱で焼けて無くなり遺構しかない。
遺構を守るには地震と河川と人間の開発と共存しなくてはならない。
「世界を動かした都市だが、今は何も無い」自分はそれだけでいいと思う。

世界の人が形が見えるものでしか普遍的価値を感じないのであれば、世界遺産ってその程度のもの。

欲があるから苦しむ。形あるもの必ず崩れる。
これこそ仏教の教えじゃないか。

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