2005年03月03日


河北新報社の記事より
木簡に蝦夷の人名 秋田・鷹巣の胡桃館遺跡 県北まで朝廷支配か

915年十和田湖の火山噴火で埋まった集落の遺跡らしいが、蝦夷が秋田城を襲撃した878年の元慶の乱以降、陸奥で安部氏、出羽で清原氏、吉彦氏が台頭してくるまでの空白期間を埋める重要な資料となりそう。
元慶の乱で朝廷側について戦果を挙げた蝦夷の有力者「玉作宇奈麿」や「玉作正月麿」と同姓の名前が書かれた木簡が発見されてるので、鷹巣までは朝廷側だったのかなと。
玉作というと宮城の玉造を連想するのですが、そこからの移住かも知れぬ。 


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