2005年09月12日


元来戦いにはルールなどなく、勝つために手段は選ばない非情なものだ。

しかし、戦いが終わり平和な時代になると、戦勝者は自分の勝利を正当化したり美化するため、また軍人の地位を確保するため、戦いにルールを作る。

歴史はその繰り返しだ。

のらりくらりと明るい昼間だけ行う戦争が夜襲をかける戦争に変わり、肉弾戦から兵糧攻めなど間接戦が加わり、一騎打ちから集団戦法へ、武器も変化し接近戦から飛び道具へ、兵だけの戦いから民間を巻き込んだ戦争へ、そして大量殺戮兵器が登場し、軍を狙うのではなく無防備な一般人を狙うテロへ、その節々で「卑怯な手法」が使われ、戦いは進化したりルール化される。

大河ドラマの義経の戦略は、平家にとってはルール違反だらけだったのだ。
土豪や下級貴族が武装した、現在の暴力団に近い存在の武士が認められるためには、戦いに大義、ルールを付けて、夜盗とは違う事を示さなくてはならなかった。
一騎打ち、正面から攻める、矢合わせなどはその例だ。
しかし、義経は背後から奇襲をかけたり、舟の漕ぎ手を先に倒したり、今でこそ知略が美しく語られるが、平家の常識ではありえない行動だった。
また、梶原景時も悪役みたいに登場するが、実は梶原氏のほうが当時の感覚としてまともだったりする。
大将は後ろのほうで構えるもので、前線で戦うことは有り得ない。ましてや本隊から外れて奇襲の部隊に入るのは信じられないし、大将としては配下の命の保障をしなきゃいけないのに、退却の術を用意しないなど、有り得ないことだらけなのだ。しかも手柄を武将にとらせず、配下の海の者とも山の者とも知れぬ烏合の衆にとられたとあっては、軍監としての面目がたたない。

しかし、現在はそれらは立派なゲリラ戦法だったり、格式にとらわれない合理主義で、「武士とは死ぬこととみつけたり」みたいな美学になっている。

「見るべきものは見つ」
戦いの変化を目の当たりにし最後まで奮闘した知盛。
相手が非常識な義経でなければ勝てたんだろうな。



阿部寛の知盛カッコイイ!!
(しかし入水の時持った岩付きの碇、着水した瞬間浮いていた。ハリボテ〜)

かむろ頭にしても、丁髷でも、坊主になってもサマになる人は、やはり恰好いいなぁ。
(ほら、イケメンでも坊主にしたら格好悪い人いるじゃん。)



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この記事へのコメント

1. Posted by 文和   2005年09月12日 20:47
私、義経は嫌いだったりします。
「勝てば官軍」的な考え方そのものが嫌いなので、彼の戦い方は合いません。だから(権力争いもあるのでしょうが)頼朝からは疎まれたのではないかと考えます(東国武士=夜盗ととらえられたくない?)。
もっとも(当時の)「武士とはかくあるべき」とかいうものを身につけることもなく戦に出るようになってしまったのでしょうけど。
2. Posted by おとみ@怪社   2005年09月13日 09:41
いや、頼朝もなかなか汚いっすよ。
もともと源氏は手口が汚い家系ですから(笑)
権益を得るためなら偽装夜襲をしてしまうぐらい(前九年の役)
そうして自滅していく。
3. Posted by 文和   2005年09月13日 17:28
源氏はもとから謀が好きな一族ですからね。
(実際の兵力差などから、頼らざるを得なかったのでしょうけど)
私も謀は好きだけど、それが周りに「謀」と悟られないのが一番(笑)
4. Posted by キクコ   2005年09月13日 19:14
>阿部寛の知盛カッコイイ!!
確かに。私もそう思った。
>(しかし入水の時持った岩付きの碇、
>着水した瞬>間浮いていた。ハリボテ〜)
合戦シーンも綺麗すぎて……
個人的には、小学生のころ観ていた
「武蔵坊弁慶」のほうが好きだったな〜。
ちなみに私、子供のころ
梶原景時滅亡の地(墓の前かな?)
にいたので、彼には何となく親近感ありよ♪

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