2006年02月03日


寒立馬 風雪に耐え、草をはむ 青森県東通村


今、馬というと競馬のサラブレッド(アラブ馬)が有名だが、戦国武将が乗っていた馬は写真のような小柄な馬だった。
日露戦争あたりまで馬は軍馬として重用され、体格の大きい外国馬との混血が進み原種は稀少になった。
この寒立馬(かんだちめ)は原種に近い。

平安時代〜戦国時代は東北は馬の一大産地で、金と同様高値で取引された。
奥州藤原氏が滅んだ後、鎌倉武士が東北に次々入植した中で、甲州の南部氏が糠部と呼ばれる地域に入植する。
ここは現在の一戸〜九戸の地域で、稲作には向かないこの地では、蕎麦、小麦の文化と馬の文化になる。
山梨のほうとう⇔岩手のばっと(ひっつみ)
南部煎餅は煎餅なのに小麦粉で出来ていることが特徴だ。
そしてここに多い神社が蒼前様。
初夏のちゃぐちゃぐ馬っこは、この蒼前様に馬を着飾らしてお参りするお祭りである。
少し離れるが遠野のおしら様(養蚕の神様だが男神は馬の頭を持つ。蚕の背中に馬の蹄状の文様があるからと、馬との共存生活に起因する)

とかく、奥州藤原氏、陸奥の国というと金にだけ目が行ってしまうが、馬による収入も大きいのである。

時代は下って、農耕は馬から機械になり、軍馬は戦車に置き換わると、馬を飼うことは少なくなり原種に近い馬は絶滅しかけた。
馬を飼うのは競馬場の厩舎と放牧場で、一般農家で飼ってるところは僅少となった。
時代劇などでこだわりのある監督はサラブレッドを使わず、和駒を使う。重い鎧に足の細いサラブレッドは合わないのだ。
今ではそれ専用に馬を飼い、大河ドラマロケ地やお祭りの時代行列に派遣されている。
馬の文化は岩手では脈々と継承され、地方競馬場が2箇所もある珍しい県である。(隣県に競馬場がないため、開催日の国道は大渋滞なのだが…。)


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この記事へのコメント

1. Posted by BlogPetのあてるい   2006年02月04日 10:02
おとみが、日で地方競馬や厩舎や収入などを起因しなかった?

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