2011年12月31日


ちぃ太郎がまだ寝ない。
ちぃ太郎のマイペースっぷりに振り回された一日、いや一年です。
ふと、
東北史にはまってあちこち旅した頃、陸前山王から多賀城南門跡まで歩いたときに、
貞観津波の時にここまで波が来たのかよ、と遠く離れた海側を見たものですが、
自分が生きているうちに、東北史の空白時代を作ったものと同じものが来るとは思いませんでした。
でも東京で揺れて速報を見て震源が三陸沖で、揺れ方が奥尻島地震と似たものを感じたとき、
直感的にこれは多賀城南郭を破壊した津波と同じもの、これは大変な事になると思いました。
そして最初に心配したのは女川原発でした。
そしたら飛び込んできたのは福島第一原発。
はじめのうちは持ちこたえると思ったけど、冷却水をまわす非常電源がなくポンプが動かなくなったと聞くと、これは大変な事になるなと。
でも一号機や三号機が爆発しても冷静でいられたのは、何となく原発の仕組みを知っていて、チェルノブイリとは違うタイプの爆発だったと理解してたから。
でも二号機の大量漏出&低気圧の通過による風向きの変化は予想を越えてたけど。
危険厨は外見の損傷が激しい一号機三号機四号機ばかり見て騒ぐけど、一番カオスなのは二号機。
放医研でバイトしてた関係もあって、どのぐらいがヤバイレベルなのか理解していたからちぃ太郎に関しては、3月は気をつけたけど、4月中旬以降は気にしてないな。
でも農業関係への無策っぷりには憤りを感じていた。
思った通り、除染もせずに作付とか、スクリーニング体制の抜けとか。
その他にも、貞観津波の後に富士山噴火、関東地震、東南海地震が起きてる事とか。
まぁ、大変な時代になっちまったなと思いました。
かくなるうえは、宇宙飛行士にするつもりで多少の放射線でもびくともしない丈夫な子に育て、関東大震災が来てもサバイバルで生き延びる逞しさを持たせるしか!
とか思ってちぃ太郎を育ててみてます。
ちぃ太郎に明け暮れた一年ですが、
来年もまたちぃ太郎に振り回される一年だろう。
ようやくちぃ太郎が寝てくれそうだ。
寝かしつけで年越しとかは避けたい。