2012年03月11日

電気を使わない過ごし方も考えたんだが、ちぃ太郎がいるうちはそうも出来ない。
その時刻にちぃ太郎にナムナム〜と言ったら、手を合わせてお辞儀した。

誰だ仕込んだ奴

というほど保育園で仕込まれている。
あの日、揺れ始めでワンセグを付けたら震源が宮城沖で、これは大変な事になると直感した。
直後長い揺れの最中にじぃから電話がかかってきて、その時はじぃはまだ関東の地震と勘違いしてた。以降電話は規制により不通。

早めに徒歩帰宅を決め込み、ビル屋外待避から直接早退。

5時を過ぎると迎えに都心に向かう車が増え、6時頃には郊外へ行く車がごった返し渋滞。
その脇をちぃ太郎を前だっこして保育園から自宅へ向かった。

携帯の電池残量を気にしながら断片的にワンセグを見たら名取の飛んでもない津波映像が目に入り、貞観津波の再来を確信した。

この寒空の中、変動する潮位で身動きとれず屋根の上に孤立している人がいるかと思うと、気が気でなかった。

実家には翌朝電話が繋がり無事を確認出来たが、以降1週間長期停電による交換器のダウンにより実家との連絡は取れなかった。


被災者やその関係者の数だけ被災ドラマがある。
波に飲まれた人、辛うじて生き延びたけど翌朝を待たず凍え死んだだろう人、沖に流され沈み行く瓦礫の上で絶望するしかなかった人、町ごと避難して取り残され餓死した人、様々な死があったと思う。

生き残った人は生き残った分、生き延びてほしい。


そんな日に、反原発の「パレード」なんて書いてしまう、社民党とか九条の会とか。(怒)


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